2013年6月21日金曜日

三津五郎のおどり

今日歌舞伎座に、幕見で「喜撰」を見てきた。
やっぱり4月の「お祭り」のときに目が離せなかったのと同様。今回も釘付け。というか、前回ですっかり魅せられてしまったので、今度ちゃんと観なきゃと意気込んでいたの。

あんなに流れがあって、どんな小さな動きもはっきりとしているのに、全然動いてない。どういうことだ。
ふ、とちょっと腕だけを動かしただけで何かが変わる。
背中もとても素敵。別にバレエみたく首が長くてうんぬんとかというのではない。腕の動きがどこからきてるのか。背中?いや、もっと深いところから出てるなぁ、なんて思いながら、うっとりしながらも頑張って観察してた。

なんなんだろう、なんだろうと考えていたのだけれど、多分あれは丹田から全ての動きが始まっているからだろうと気づいた。
だから形自体はそんなに大きく変わらなくても丹田からの流れが変わるから、印象っていうか、流れが変わるの。
帰りの電車でずっと考えてたらわたしの丹田あたりに意識が気づいたら集まっていて、「ああそうか」と気づく。これもエントレインメント??なんて便利なわたしの身体ww
渡辺保は「三津五郎は、手脚と胴体がつながってる。バラバラにならない。針金が通っているみたいに連動している」って言ってた(この日曜日にやってたソロモン流にて)けど、そんなレベルの通り方じゃないよなと思った。
見ていて、やっぱり体幹が気になる、と思っていたのは多分丹田だ。なるほど、東洋で生まれて発展したおどりなわけだ。

ぐっと来るエネルギーの感じ。重いというわけではないんだけど、そこにちゃんと何かが中を流れている身体があって踊っているという重量感が、本当に魅力的。みんなある程度この丹田のエネルギーというか、そういうのがあるんだけど、一般的な舞踊家が例えば直径2cmくらいだとしたら、三津五郎はそれが10cmくらいありそうなくらいだった。でもそれがずーっと100%オンというわけでもなくて、おそらくその強弱も存在するから見栄えがするんだと思った。そしてそのあり方を役に合わせて調節するから、表情まで見えなくても身体だけで十二分に伝わるものになる。

先日早稲田の図書館で読んだ渡辺保の「歌舞伎:型の魅力」に「形(かたち)」は見栄とかはっきりと目に見えてわかるところ。「型」はそれ以外の形と形のあいだである、というようなことを言っていた。バレエでも一緒だと思うけど、ポーズとそのあいだの動きを同じようにやっていたら、ポーズの見栄えがしない。それを生かすのがそれ以外の部分だし、おどり全体を面白くするのもそこ。ということ。そりゃそうだ。

こういう重さをもってバレエができたら、面白いよな、いいよなぁと思う。ふわふわしてるだけじゃ物足りないなと思ってしまう。胆がどっしりしてるシルフィードとかちょっとちぐはぐすぎるから無理がありそうだけど笑。

実際それができるようになるっていうのはすごいことなんだよ。
そういう踊り手さんをこの目で観ることができて、本当に幸せ。



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